2025年7月20日投開票の参議院議員選挙を契機として、学び考えたことの一つについて記していきます。
この稿では、「自由主義」と「権威主義」、「個人主義」と「全体主義」という観点から、これら4つの思想が「国家」と「個人」の関係をどのように捉えているのかを学び、その上で、私は、どんな社会を、どんな生き方を望んでいるのか、改めて考えてみました。
個人の「自由」をめぐる戦い – 自由主義 & 権威主義
最初の対立軸は、国家が個人の活動にどこまで介入すべきか、という「自由」の範囲をめぐる問題です。これは主に、政治システムや経済活動のあり方に関わります。
「自由」を至上とする:自由主義(Liberalism)
自由主義とは、個人の自由と権利を社会の最も重要な価値であると考える思想です。
その根幹には、人間は生まれながらにして自由であり、他者から不当に侵害されない権利(基本的人権)を持つという考え方があります。
自由主義にとって、国家の役割は、個人の自由と財産を守るための「必要悪」です。そのため、国家権力は憲法や法律によって厳しく制限されなければならないと考えます(立憲主義、法の支配)。
政府の権力乱用を防ぎ、個人の思想・信条の自由、表現の自由、経済活動の自由などを最大限に保障することを目指します。
いわゆる「小さな政府」が理想とされるのは、この思想に基づいています。近代の民主主義国家の多くは、この自由主義を基本理念としています。
「秩序」を優先する:権威主義(Authoritarianism)
一方、権威主義は、個人の自由よりも、国家や社会全体の秩序と安定を優先する政治体制です。
権威主義の指導者たちは、自由主義的な価値観が社会に混乱や対立をもたらすと主張します。
彼らにとって、国民の自由な政治活動や政府への批判は、社会の安定を脅かす行為です。そのため、権力は特定の指導者や軍部、エリート政党などに集中され、言論統制や集会の制限などによって国民の政治的自由は抑圧されます。
しかし重要なのは、権威主義が求めるのはあくまで「政治的な服従」である点です。
体制を脅かさない限りにおいて、国民の私生活(どのような文化を好むか、どのような仕事に就くかなど)や、一定の経済活動の自由は容認される場合があります。
彼らは社会を根底から作り変えようとするのではなく、既存の権力構造を維持し、秩序を守ることを最大の目的とします。
つまり、自由主義が「自由こそが安定の礎だ」と考えるのに対し、権威主義は「自由を制限してこそ安定が保たれる」と考えるのです。
個人の「存在」をめぐる戦い – 個人主義 & 全体主義
第二の対立軸は、より深く、人間の本質に関わる問題です。個人は、それ自体で価値ある存在なのか、それとも「全体」の一部品に過ぎないのか。この問いに対する答えが、社会のあり方を根本から規定します。
「個人」が目的である:個人主義(Individualism)
個人主義とは、社会や集団よりも、個人の自律性、独立性、そして尊厳を重視する考え方です。この思想では、一人ひとりの個人が、他には代えがたい独自の価値を持つ、かけがえのない存在として捉えられます。
個人は、国家や社会のために存在する「手段」や「部品」ではありません。むしろ、国家や社会こそが、個人の幸福や自己実現を達成するために存在する「手段」であると考えます。
自己決定権(自分の生き方を自分で決める権利)を尊重し、多様な価値観やライフスタイルが共存できる社会を目指します。先に述べた自由主義も、この個人主義を思想的な基盤としています。個人の尊厳が守られて初めて、真の自由が成り立つからです。
「全体」が目的である:全体主義(Totalitarianism)
対する全体主義は、個人主義を徹底的に否定します。
全体主義にとって、個人は何の価値も持たない存在です。個人の価値は、「全体」(国家、民族、階級など)にどれだけ貢献し、奉仕するかという一点によってのみ測られます。
全体主義体制は、国家が掲げる唯一絶対のイデオロギー(例えば、特定の民族の優越性や、あるべき共産主義社会の実現など)を社会の隅々にまで浸透させます。そして、そのイデオロギーを実現するため、国民のあらゆる側面―仕事、家庭、交友関係、さらには思想や内面―を完全に支配・統制しようとします。
そこでは、多様性は悪とされ、全ての国民が同じ思想、同じ価値観を持つように均一化が図られます。カリスマ的指導者への個人崇拝が強制され、秘密警察や相互監視によって、イデオロギーに反する者は容赦なく排除されます。
全体主義は、個人という概念そのものを消し去り、人々を思考なき「全体の部品」へと作り変えようとする政治体制なのです。
個人主義が「多様な個人の集合体こそが豊かな社会だ」と考えるのに対し、全体主義は「個人を抹消し、完全に一体化した全体こそが理想郷だ」と考えるのです。
成立時期
1. 近代社会の価値観の成立 (17世紀〜18世紀)
自由主義と個人主義は、ヨーロッパの近代化の過程で生まれ育った思想です。
- 背景: 封建的な身分制度や絶対王政、宗教的権威からの解放を目指す中で、「国家や社会よりもまず、個人の権利と自由が尊重されるべきだ」という考え方が生まれました。
- 時期: 主に17世紀の市民革命(イギリス)や18世紀の啓蒙思想、そしてアメリカ独立革命やフランス革命を通じて、近代社会の根幹をなす価値観として確立されました。
- 位置づけ: これらが近代社会の「元となる価値観(テーゼ)」と言えます。
2. アンチテーゼとしての登場 (19世紀〜20世紀)
「権威主義」と「全体主義」は、近代化の過程で生まれた自由主義や個人主義への対抗、あるいはそれらがもたらした社会の混乱への反動として登場しました。
権威主義 (Authoritarianism)
- 歴史的実践: 君主制や独裁など、権威的な支配の実践そのものは古代から存在します。
- 近代的な概念として: 19世紀以降、自由主義的な民主主義が広まる中で、それに対抗して国家の権威や秩序、伝統を優先する思想として明確に意識されるようになりました。自由主義がもたらす個人の解放が、社会の不安定化を招くと考えた人々から支持されました。
全体主義 (Totalitarianism)
- 成立時期: 20世紀です。
- 背景: 第一次世界大戦後の社会不安や、マス・メディア、近代的な官僚制といった新しい技術や社会システムの登場を背景に生まれました。
- 特徴: 単に個人の自由を抑圧するだけでなく、国家が個人の内面(思想や価値観)までをも完全に支配し、社会全体を一つの目的に向かって動員しようとする、よりラディカルで包括的な思想です。具体的には、1920年代のファシスト・イタリアでその言葉が使われ始め、ナチス・ドイツやスターリン体制下のソビエト連邦などがその典型例とされます。
◇成立時期等について、YouTube動画『日本人にイデオロギーは不要|茂木誠×川嶋政輝』(むすび大学チャンネル)が分かり易かったので、引用・紹介させていただきます。
結論:4つの視点から生き方を考える
ここまで見てきたように、「権威主義」と「全体主義」は、それぞれ「自由主義」と「個人主義」という近代社会の根幹をなす価値観へのアンチテーゼとして捉えることができます。
権威主義は、「自由主義」に対抗し、個人の政治的自由を犠牲にしてでも社会秩序を維持しようとします。
全体主義は、「個人主義」に対抗し、個人という存在そのものを否定して「全体」への奉仕を強制します。
今、私が生きている社会は、自由と個人主義を基盤としていると考えています。
これまで学んできたことから考えて、私は、自由と個人を重んじる考え方に共感し、自由主義と個人主義を基調とした社会で生活していくことを望んでいます。
※内容に誤り等ありましたら、ご指摘いただけると幸いです。必要に応じて修正等いたします。
・2025年09月05日 第01稿
・ 09月08日 一部文言修正
・ 09月11日 動画引用・一部加筆
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